連休の営業が終了しました。
片付けが終わってから今宮戎神社の十日戎へ行く予定だったんですが、朝から筋肉痛がひどくて行列に耐えれそうにないだろうということで断念しました。
昨年は露店の並ぶ参道で断念。神社には2年ほどたどり着いていません。
商売繁盛への道のりは険しですね…。
たくさんの人がFacebookに参拝の様子を投稿していたので、今年はその画像を見ながら手を合わせて拝みたいと思います。
さて…、
ご存知の方もおられるかと思いますが、アメブロをやっていたときに書いたえべっさんの雑学の話から…。
日本で最初に生まれた子供は障がい児だった

この恵比寿様(えべっさん)、実は日本初の障がい者。
イザナギとイザナミの子供で、全身マヒの未熟児状態で生まれた「蛭子(ひるこ)」が海に流されたあと漁師に拾われ、エビスという名の神様として復活。漁業や商売繁盛の神様になった…というのが起源。
足が悪いので「足が出ない」=「商売繁盛」といういわれがあるそう。
ちなみに耳も遠いので、後ろからドラを叩くようです。
なかなか面白いお話ですよね…。
日本生まれの七福神は、この恵比寿様だけ。
日本はそもそも障害者を大切にする国、そんな風にも思っています。
恵比寿様の他の縁起物にも障がい者が…
有名なところでいうと、実在する人物がいると言われている、福助 や仙台四郎 。
この商売繁盛の縁起物も、もともとは障害者でした。
以下、Wikipediaより少しずつ抜粋。
福助人形 (Wikipediaより)
もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることを憂いて他行を志し、東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物に出たところ、評判が良く、江戸両国の見せ物にだされた。江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。その人形が、福助の死後、流行した、という。
仙台四郎 (Wikipediaより)
知的障害でほとんど話すことができなかったが、四郎が訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされた。没後、商売繁盛のご利益がある福の神としてその写真が飾られるようになった。
福の神における障害者率の高さ。
こう見てみると、格言のような共通点があるような気がしますよね…。
ドラマの「裸の大将」も似たような教えがあるのかなぁ…と思ったりします。
商売繁盛に大切なことは、まず人に優しいこと
「商売繁盛の福の神」=「障害者」なのか。
個人的に思うのは、彼らが「商売繁盛の福の神」というわけでもなくて、お店として起こるべくして起こった結果だと思うんですよね。
例えば仙台四郎。四郎の訪れるお店は繁盛する、入るのを嫌がるお店は潰れるか右肩下がりに。たぶん彼は、感覚的にお店の人の人柄を感じ取っていたんだと思います。
障害者に優しいお店は、誰にでも優しいお店。
懐の深さというか心に余裕があって、他人のためになることを考えてる。
だから繁盛するし、四郎も安心してお店に来る。
結果として、彼が安心して足を運ぶお店は商売だけ繁盛しているように見える。
そういうこと。
人のためになること。これが商売繁盛にまず大切なことなんじゃないかなぁ…と。仕事をしながらそんなことを考えていました。
ウチも気概だけは、そんな感じでやれればと思います。
人に優しく。