SNSの投稿を見ていると、語気強めに怒っている人や悲壮な声を上げている人がたくさん。感染拡大にあまり関係のないことまで自粛を強要したり、営業しているお店に苦情を申し立てる張り紙の写真が出てきたりと、なかなかの地獄絵図。正義感がいきすぎてもはや犯罪になってることも。
肌感覚では善意のコロナ支援もピークを過ぎ落ち着いてきた感じ。そろそろ精神的にも限界に近づいてきた人が多いのかなぁと。
感染のスピードが衰えてもゼロリスクになることは一切ないので、緊急事態宣言の延期に関わらず連休明けぐらいからは、バランスを取りながら経済を回していく空気感が醸成されていくんじゃないでしょうか。
観光や宿泊、エンタメなどなかなか戻りにくい業界もあるだろうし、飲食業でもブックカフェや猫カフェ、横丁居酒屋など、接触が多かったり滞在時間が長くなる業態は元の状態での再開がなかなか難しいかなと思いますが、感染対応がしやすいお店からどんどん営業していくだろうと思っています。
これから新しい価値観や生活様式を獲得しながらコロナに対応した生活していくことになるんじゃないでしょうか。
不安を解決することはできないけど、少しだけ和らげることはできると思う
暗めのニュースや投稿を見かける毎日。
個人的には「今ここ」に着目する性格なので「明けない夜はない」とか「出口のないトンネルはない」とかフワッとした励ましの言葉が苦手(もちろんその言葉で救われる人はいるんだけど)。やっぱりピンチはピンチ以外の何ものでもないので、現在起こっている状況に対して粛々と向き合っているような感じ。
テイクアウトに来られるお客様、オンラインで豆を購入いただくお客様も、先が見えないなかでなんとかやりくりしつつも、どこか不安だったりストレスが溜まっていたりするんだろうなぁと感じています。
そういった人たちに対して「大丈夫」とか「いずれ良くなるよ」みたいな根拠のない励ましの言葉をかけるつもりはもちろんないし、お手伝いできたとしても微々たるものですが、「とりあえず深く息をしてコーヒーでも飲んで落ち着つきなはれ」くらいは言えるのかなぁと。コーヒーを扱う商売の役割であるのかも知れない。

3年ほど前に書いた記事。
ウチのお店は「ぬるま湯要員」みたいな位置づけ。
日頃感じている息苦しさを少し和らげ、呼吸や気持ちを整えたりする場所なのかなぁ…と思っています。元気を与えることはないけれど、つらさを和らげるようなお店でありたいな…と。ダメなところがあっても否定されない場所。これは実店舗の営業だけではなくて、テイクアウトでもオンラインでも同じように言えること。
最近、ラテやカップに「ほっと一息」と書くことが増えました。
まぁ、ありふれた言葉ではあるんですが、次第にコロナ疲れを感じるようになって余裕がない人が多い時期なのであえて必要な言葉だと思っています。
もちろん自分たちも弱っていたり、来店いただいたお客様に気遣わせたりすることもあるんですが…。
ちょっと一息ついて肩の力を抜ける時間が提供できるよう、お店の形態が変わったとしても自分たちの役割を認識しながら動いていけたらいいのかなと。
