っていうか、悪口を言ったらアカンのですけどね…。
先日のワキガの話のように、聞こうとせずともお店全体に聞こえるくらいのボリュームで話している内容は、ありがたくネタとして頂戴したいと思っています。
お店の捉え方としては「昨日テレビでこんなことを話していた」みたいな感じでしょうか。おそらく拡散されても問題ないくらいの話だろうなと…。
マイナスの感情を持って言葉を吐き出しても結果的にはストレス発散に繋がらないと思っていますが、話されている方が少しでも気がラクになるのなら喫茶店の役割としては良いのかなぁ…と考えています。
これまでは、話していることに夢中になり「他人の批判は大きい声で話す人が多い」という認識だったんですが、見ているとお互いに耳を傾けながら小声で話している方も。
以前、閉店時間を過ぎてもヒソヒソと話を続けておられるお客様がいらっしゃったので、試しに動作音を出している焙煎機など機械の電源を落とし、BGMを止め、周りの照明も落としていくなど様子を見ながら順番に。周囲は静まり返り舞台でスポット浴びているような演出になったんですが、まったく気づかれる様子もなかったので普通にお帰りいただきました。
声のボリュームは関係なく「他人の悪口を言っている状況では身体的にも心理的にも視野が狭くなっている」んだろうな…と。冷静な判断もできない状態なので、周囲への意識が行き届かない。
出来事の原因は批判される相手にあるんでしょうけれど、問題は相手にはないんではないんじゃないか…。あくまでも個人の認知の問題。話している姿を見るたびにそんなことを思います。
先日、他店のFacebookページに批判的なコメントが集中し、お客様の間で話題になりました。
そのときにみんな口を揃えて言っていたのが「〇〇(名前)って人、めっちゃヤバイな笑」「〇〇(地名)ってあんなとこやったんやなぁ」というセリフ。お店に不備のあった出来事だったんですが、それよりもコメントを書いた人のほうが見ている人には目立ったようです。反応が大きかった投稿なので、たぶん何千人も見ていて、しかも実名で覚えられてる。
人の批判というのはブーメランのように返ってきて、自分をおとしめることにしか繋がらないんだなぁ…と、あらためて感じた出来事でした。
冷静な判断もできなくなり、自分をおとしめる結果に繋がること。そんなことばかり。
さて…、
こうして、あたかも自分が人格者であるかのように長々と語ってきましたが、周りの人はこう感じているかと思います。
「お前が言うな」。
そう、店主は「人のことを悪く言う話題」が大好きなんですよね。
もちろん店主と同様、性根が腐っていることを自覚している大半のお客様たちも、おそらく大好物なネタなんじゃないでしょうか。
美味しい酒の肴。
ただ、素材のまま食べて美味しいハプニングとは違って、マイナス感情を含んだ話は毒性の高い素材。
そのままでは美味しくいただけないので、素材の鮮度は大切にしつつも、しっかりと調理。毒抜きをして、食感のアクセントや辛みや清涼感を添えるために、小口ネギ、もみじおろし、スダチを添えるなど。場合によっては煮込んだほうが美味しいかも知れない。編集作業が必要なんですね。
自分の力量を超えたり旨みが少ないと感じた食材は調理しないという判断も。
大切なのは「食材に対する感謝と愛情」。そして、「相手にどう美味しく食べてもらうか」を考えること。
感情にまかせて自分本位に吐き出すのではなくて、聞き手や読み手のことを考えることが必要なんですね。
楽しく美味しく召し上がっていただくために、バランスを考えて全体としてどう仕上げるか。後口はどうか、胃がもたれないか…。
一般的に毒舌と言われるのも、実際のところは毒ではなくてピリッとした薬味。
そんなことなんじゃないかと思っています。
最近は築地(食べログ)にも、上質な素材が手に入らなくなりましたが、店主の得意料理「悪質グルメブロガーの吊るし揚げ」も、素材への愛情たっぷりで。
ではでは。