以前、ランチパスポートの記事を書いたときに「そんな記事を書かれたら使いにくい」とTwitterで反応がありました。(引用リツイートをすると、アカウントごと消えてしまいましたが…)

ランパスの是非というよりは、お店のあり方をどう考えるかと言う話。
もちろん店主もクーポンを使うときがあります。
例えばファーストフードや量販店のような自分にとって関係性のないお店では、舛添知事と同じようにクーポンを使いますが、友人がやっているような親しい(親しくなりたい)お店では店側がクーポンを出していても使うことはないです。
さて…、
そんなこんなで、再びランチパスポートの話。
出版されなくなったエリアもあったりするようで、そろそろ下火になってきているんでしょうか…。
再掲載を嫌がるお店が増えているとも聞いたりします。
元々は「街を盛り上げたい」という気持ちから作ったとのことですが、完全に初心とは違う方向に進んでいますね…。
ランチパスポートの注意書きがヤバい
冒頭の写真は、個人のFacebookに載せた「ランチパスポートの注意書き」のページ。以前はこんな注意書きはなかったように思います。
本当にあった困った話と書いてあるように、お店側から相当数の苦情があったんでしょうね。
CASE7 お店の方に対して暴言を吐く…なんて、普通に営業しているだけではあり得ないこと。もはやお客様とも言えないレベル。
出版側として対策を考えた結果のことだと思いますが、お店側から見ると「ランパスに載せたらこんな人が増えますよ」という恐怖感をあおるものでしかなくなっているなぁ…と。
まず、ランチパスポートは書籍自体にお金を支払っているので、人をより横柄にさせてしまってるのだと思いますが、クーポン自体にも普通の人を豹変させる仕組みがあるのではないかと疑ってしまいます。
割引クーポンは、人を「モノ視点」にさせる
クーポンは、商品にピントを合わさせて、相手の視野を狭くする。
個人的にはそんなところに問題があるのだと思っています。
商品と価格を考えてどれだけ得ができるか、相手をそんな心理にさせる。
例えば、ウチのお店がクーポンを出したとする。
それで来店される方は、サラダのなかに隠れているウサギや店内に仕込んでいる小ネタにも価値を置かないだろうし、視野すらに入らないかも知れない。
うさぎ型のカレーもたぶん「少なっ!」で終わる。
夫婦の想いや背景にもまったく興味を持たず、次に来店することはないと思う。
クーポンは、提供しているモノだけを、モノとしてしか見れないようにさせる。そんな気がする。
コーヒー1杯の価格は、液体そのものの価格なのか
自分たちがお客様からいただいているお金は、何に対する対価なのか。
もちろん、商品の味や質や量だったりもするけれど、店内の雰囲気やワクワクした感じ、お店に対して共感する気持ち、心の豊かさ、そこで過ごす時間などなど。
商品そのものだけでなくお店全体を含めた体験に対する感謝をカタチにしたものが対価、そんな風に思っています。
クーポンを発行する場合は、自分たちの価値がどこにあるのか、しっかり考えてからじゃないといけないような気がする。
割引クーポンは、相手をモノ視点にさせ、体験的な要素を全て視界の外へ追い出しちゃうんだろうなぁ…と。だから、使う人が変な感じになるのかも知れない。
ページを見ながら、そんなことを思いました。
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